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日本におけるシェルの歴史

日本におけるシェルの歴史

シェルの日本における事業活動は、1900年に横浜にライジングサン石油株式会社を設立してから今日まで、120年以上にわたります。日本におけるエネルギー業界の変遷と共にシェルが歩んできた歴史をご覧ください。

1900年~

1800年代末期、横浜で貿易業を開始したサミュエル商会は1900年石油部門を独立させ、後年シェル石油となるライジングサン石油株式会社を設立し、照明用の灯油、ロウソクの販路を拡大していきます。やがてシェル・トランスポートとして発展したサミュエル商会はロイヤル・ダッチと合併してロイヤル・ダッチ・シェルとしてスタート、ライジングサン石油はシェルの日本の拠点として事業を展開していくことになります。

■設立当初の主要商品は、ランプ用灯油、ローソク、 ベンジンだった。第2回日英同盟を記念して発売された同盟印のローソク
■設立当初の主要商品は、ランプ用灯油、ローソク、 ベンジンだった。第2回日英同盟を記念して発売された同盟印のローソク
■衣装用ベンジンのラベル
■衣装用ベンジンのラベル

1876年

ライジングサンの前身サミュエル商会、横浜で貿易事業開始。

1900年

サミュエル商会は石油部門を独立させライジングサン石油株式会社を設立。

1905年

第2回日英同盟を記念して「同盟印ローソク」を販売

1907年

ロイヤル・ダッチとシェル・トランスポート合併。ロイヤル・ダッチ・シェルの誕生。ライジングサン石油、シェルグル-プの日本の拠点として事業展開。

1910年~

石油が工業用燃料、動力を供給する主要なエネルギーとなったこの頃、第1次世界大戦が勃発。欧米に遅れてスタートした日本の自動車普及は1918年には乗用車・トラック合わせて4500台を越え、ガソリン需要も徐々に増加。ライジングサンのガソリンも、「赤貝印」「黒貝印」のブランドで市場に販売されていきます。

■石油缶のラベル。早くも貝印のブランドを展開。ランプ用・船灯用、暖炉・厨房用燃料に重用された。
■石油缶のラベル。早くも貝印のブランドを展開。ランプ用・船灯用、暖炉・厨房用燃料に重用された。
■貝印の各製品のラベル

1911年

ライジングサン石油 ロシア原油/ルーマニア原油/スマトラ原油を輸入精製

1915年

高島油槽所内に中央製蝋所を設けローソクの販売体制を強化。

1917年

自動車用ガソリン需要増加「赤貝印」「黒貝印」

1918年

ライジングサン石油が輸入しているオランダ領インドシナ原油が日本の輸入原油の中で最大となる

■貝印の各製品のラベル
自動車用ガソリンのラベル。赤貝印、黒貝印
■自動車用ガソリンのラベル。赤貝印、黒貝印

■自動車用ガソリンのラベル。赤貝印、黒貝印

■ライジングサン石油の製品広告。製品の種類拡大が伺える。写真は当時の先代営業所の扱い。

1920年~

1920年代初頭、アメリカでは一家に1台のマイカー時代を迎え、日本では大型内燃機関の国産技術が確立されていきました。ライジングサン石油は、関東大震災後、横浜に新社屋を再建。各地にガソリンスタンドを設置するとともに、イギリスからタンクローリーを輸入して供給能力を向上させていきます。

■供給基地の増強:石油製品の利用拡大にともない、各地に油槽所が開設された。静岡県草薙油槽所の開所式。(上写真)
■供給基地の増強:石油製品の利用拡大にともない、各地に油槽所が開設された。静岡県草薙油槽所の開所式。(上写真)

1923年

関東大震災によりライジングサン石油社屋が倒壊、本社を神戸に移転。

1924年

ライジングサン石油、イギリスより初めてタンクローリー輸入。

1929年 

ライジングサン石油、横浜市山下町に本社再建

■各地にガソリンスタンドが開所:自動車用ガソリンの需要拡大とともに先進的なスタンドも出現した。(上写真)
■当時のスタンドの給油口マンホールの蓋
■当時のスタンドの給油口マンホールの蓋
■本社新社屋再建:ライジングサン石油は関東大震災を受けて一時本社機能を神戸に移転していたが、 1929年横浜市山下町に落成した新社屋に復帰した。社長以下全役員・社員そして全国特約店店主全員が一堂に会して記念撮影。
■本社新社屋再建:ライジングサン石油は関東大震災を受けて一時本社機能を神戸に移転していたが、 1929年横浜市山下町に落成した新社屋に復帰した。社長以下全役員・社員そして全国特約店店主全員が一堂に会して記念撮影。

1930年~

第2次世界大戦の足音が忍び寄る日本では、航空機を始めとする近代兵器の開発・生産に国力の多くを傾注していきます。政府は石油業法を公布、業者に貯油を義務づけ、やがて、石油、石炭は配給制となっていきます。この時期、国産タンクローリーが登場し、運送店も石油製品の販売チャネルの一翼を担っていました。

■製品供給:タンクローリーからの荷卸し作業。東京柳島油槽所所属の2.5トンローリー。
■製品供給:タンクローリーからの荷卸し作業。東京柳島油槽所所属の2.5トンローリー。

1930年

ライジングサン石油 機械油を積極販売

1933年

ライジングサン石油 資本金2,000万円増資

■高度な需要に応えて航空機部門にも進出:航空機用燃料の販路も拡大した。名古屋航空学校での燃料供給。
■高度な需要に応えて航空機部門にも進出:航空機用燃料の販路も拡大した。名古屋航空学校での燃料供給。
■航空燃料用ドラムのラベル
■航空燃料用ドラムのラベル
■大量流通体制の整備:石油製品の需要拡大とともにライジングサン石油は鉄道用タンク車、内航用タンカー等大量輸送態勢の拡充に努めた。
■大量流通体制の整備:石油製品の需要拡大とともにライジングサン石油は鉄道用タンク車、内航用タンカー等大量輸送態勢の拡充に努めた。

1940年~

1941年の太平洋戦争の開戦とともに、ライジングサン石油は資産を敵国財産管理下におかれ、会社は閉鎖されます。戦後、ライジングサン石油はシェル石油と改称して営業を再開。昭和石油・シェルの資本協定を始めとして国産石油企業は、海外石油資本との提携を進めていきます。 

■石油枯渇:海外からの石油禁輸措置を受けて、国産ガソリンの開発が行われた。戦争末期には石油は枯渇、松の根を掘り起こして搾油した松根油を飛行機の燃料とする試みも行われた。
■石油枯渇:海外からの石油禁輸措置を受けて、国産ガソリンの開発が行われた。戦争末期には石油は枯渇、松の根を掘り起こして搾油した松根油を飛行機の燃料とする試みも行われた。

1941年

ライジングサン石油の在日資産、敵産管理に付さる

1948年

ライジングサン石油、シェル石油と改称し営業再開

1949年

シェル 昭和石油と第1次基本協定締結

■防空体制:敵機の攻撃から守るために周囲を厚さ1メートルの竹骨コンクリートで覆った石油タンク。青森県野内油槽所で。

■防空体制:敵機の攻撃から守るために周囲を厚さ1メートルの竹骨コンクリートで覆った石油タンク。青森県野内油槽所で。

■シェル・昭和石油両社は基本協定締結に着手した。第1次協定締結を記念して記念撮影する両社首脳。

■シェル・昭和石油両社は基本協定締結に着手した。第1次協定締結を記念して記念撮影する両社首脳。

1950年~

シェルと昭和石油は数次にわたる資本提携協定を進め50%出資を決定。戦争で被災した川崎、新潟製油所を再開するとともに、旧海軍四日市燃料廠跡地の払い下げを受け、昭和四日市石油四日市製油所建設に着手。1958年の完成以降、日本におけるシェルの重要な精製拠点として活躍していきます。

■パートナーシップの確立:シェル・昭和石油両社資本提携に合意。シェルの資本参加が決まる。復興資金と最新技術の導入が行われた。以後日本におけるシェルに対する精製・製品供給の地位を確立する。
■パートナーシップの確立:シェル・昭和石油両社資本提携に合意。シェルの資本参加が決まる。復興資金と最新技術の導入が行われた。以後日本におけるシェルに対する精製・製品供給の地位を確立する。

1950年

ミルザ号 原油を積んで昭和石油川崎製油所に入港

1951年

・シェル 昭和石油と第2次基本協定締結 (委託精製、原油・石油製品供給、資本導入方式、精製技術等)

・シェル 昭和石油と資本提携

1952年

シェル 昭和石油と第3次基本協定締結

1955年

シェル石油本社を東京丸の内に移転

1957年

昭和石油、三菱、シェル間で四日市製油所建設に関する基本契約締結し、昭和四日市石油設立

1958年

昭和四日市石油 四日市製油所(40,000B/D)完成。製品出荷開始

■業容の拡大に伴い、シェル石油は本社を 東京丸の内の東京ビルに移転

■業容の拡大に伴い、シェル石油は本社を 東京丸の内の東京ビルに移転

■四日市製油所の全景
■四日市製油所の全景
■出荷される製品
■出荷される製品

1960年~

名神・東名高速道といった、日本初の本格的高速道路を始めとする道路網の整備と相まって、モータリゼーションが急速に進展していきます。従来、ガソリンスタンドと呼ばれた給油所も、マイカーのお客様のサービスに主眼を置いた快適な「サービスステーション」として生まれ変わって行きました。石油需要の増加と、日本の造船技術の飛躍的向上によって原油輸入に巨大タンカーが投入されました。

■創業60周年記念:シェル石油創立60周年を記念して各地で祝賀会が開催された。
■創業60周年記念:シェル石油創立60周年を記念して各地で祝賀会が開催された。

■タンカー時代の幕開け:石油需要の増加と、日本の造船技術の飛躍的向上によって原油輸入に巨大タンカーが投入された。受入設備も増強され、横浜スーパー・タンカー・バースが設置された。

1960年

シェル石油60周年

1961年

横浜スーパ-・タンカ-・バ-ス完成

1963年

・シェル石油横浜油槽所に潤滑油工場竣工

・シェル石油の科学製品の販売部門を分離し、

・シェル化学製品販売(株)設立

1965年

「シェル・スーパー・モーターオイル」発売

1967年

シェル船舶マンモスタンカ-「千尋丸」進水

1968年

・シェル化学製品販売、商号をシェル興産株式会社に変更。シェル興産100%子会社のシェル化学株式会社が化学製品販売事業を担当。

・シェル石油とシェル興産、関係諸会社は、本社機能を統合すべく、本社を霞が関ビルに移転

■シェル船舶のマンモスタンカー「長者丸」が進水
■シェル船舶のマンモスタンカー「長者丸」が進水
■LPGタンクローリー
■LPGタンクローリー

■高級モーターオイル「シェル・スーパー・モーターオイル・エクセル」は1969年発売以来16年間の長きにわたって販売されたロングラン製品。

1970年~

高度成長をとげていた日本は、原油輸入量の8割を中東に依存しており、生産削減が即共有削減となり、安価で潤沢な石油供給からの政策転換を迫られました。省エネルギー、石油代替エネルギーの開発、有事に備えた原油の備蓄の必要性が認識され、社内にも「備蓄対策委員会」が発足。60年代末期からシェルが三菱商事と共同で準備を始めたブルネイの天然ガスを液化して輸入する事業は、70年代に開始され、東京・大阪地区の電力・ガス会社に供給。これを契機に国内の都市ガスは、順次天然ガスに転換されていきます。

■液化天然ガス(LNG)の輸入:1960年代末期に計画されたブルネイの天然ガスを液化して日本に輸入するプロジェクトは、1972年にいたって開始された。富士山を背景に航行するLNGタンカー「BELAIS号」。
■液化天然ガス(LNG)の輸入:1960年代末期に計画されたブルネイの天然ガスを液化して日本に輸入するプロジェクトは、1972年にいたって開始された。富士山を背景に航行するLNGタンカー「BELAIS号」。

1972年

・SS店舗活性化計画TMD

(トータルマーケティングデザイン)

・ブルネイからLNGの第一船が日本に到着

1975年

シェル石油、自動車並びにサービスステーション用関連商品部門を分離独立

1978年

シェル・スーパー・モーターオイル「ニュー・エクセル・クリーン」発売

■LNG受入基地(写真左)、大阪ガス泉北基地に着桟するLNG第一船(写真右)

■新ブランド戦略・VM改訂:世界的な工業デザイン事務所、レイモンド・ローウィを起用して新しいコンセプトによるサービス・ステーションの開発(MAYA型SS:写真右 )とVM(Visual Manifestation)の抜本的見直しが行われ、直ちにシェル石油でも導入された。

1980年~

シェル石油と昭和石油は1985年1月に合併し「昭和シェル石油」としてスタート。各元売間での製造・輸送面での業務提携・集約化が進められ、事業の多角化に向けて挑戦していきます。また、80年代後半にかけてはガソリン生産割当てが廃止されるなど、石油業界に規制緩和の波が押し寄せます。

■碧南LPG基地:愛知県知多半島に1977年着工した碧南LPG基地が80年に完成。この地方の一大供給基地の役割を担う。LPGタンカー(写真左)、と二重殻の球形タンク(写真右)
■碧南LPG基地:愛知県知多半島に1977年着工した碧南LPG基地が80年に完成。この地方の一大供給基地の役割を担う。LPGタンカー(写真左)、と二重殻の球形タンク(写真右)

1980年

・碧南LPG輸入基地完成

・シェル日本創業80周年

1981年

1リットルのガソリンでどこまで走れるかを競うマイレッジマラソン第一回大会開催(鈴鹿サ-キット)

1985年

シェル石油(株)と昭和石油(株)が合併し、昭和シェル石油㈱発足

1987年

昭和シェル石油、新次元ガソリン「フォーミュラ シェルス-パ-X」全国一斉発売

1989年

高級モーターオイル「シェルフォーミュラ X」発売

■1981年1リットルのガソリンでどこまで走れるかを競うマイレッジマラソンが鈴鹿サーキットで開催。以降2000年の最終大会まで毎年熱戦が繰り広げられた。

■より強固な経営基盤を求めてシェル石油と昭和石油が合併。両社首脳と調印式。

■合併にあたり、モーターオイルを始め全ての潤滑製品もブランドイメージを統一して一新された。
■合併にあたり、モーターオイルを始め全ての潤滑製品もブランドイメージを統一して一新された。

■新次元ハイオクガソリン:フォーミュラシェルスーパーXが発売され、ハイオク市場拡大に貢献した。

1990年~

1980年代末以降、バブルの終焉を迎えた日本は、一転して失われた10年と呼ばれる低迷の時代に。1995年には阪神淡路大震災が発生、石油業界も大きな損害を被りながらも石油の供給に努力しました。電力・都市ガス等ライフラインが寸断される中、独立エネルギー拠点としてのサービスステーションの重要性が再認識されました。

■シェルジャパン発足:シェル興産・シェル化学・ビリトンメタルジャパンの3社統合の祝賀会(1992年1月)
■シェルジャパン発足:シェル興産・シェル化学・ビリトンメタルジャパンの3社統合の祝賀会(1992年1月)

1991年

原油、石油製品を扱う「シェルジャパントレーディング(株)」設立

1992年

シェル興産、シェル化学などシェル100%出資の会社を統合し、シェルジャパン(株)発足。主に石油化学を主体とする化学事業とシェルの液化天然ガス(LNG)プロジェクトへのサービス業務を担う。

1993年

・「Shell TMO SAE 5W-30 」高性能モ-タ-オイル新発売。環境保全への貢献が評価される。

・日本初のエコステーション名古屋にオープン

・ブルネイ LNGプロジェクト20年の契約延長合意

・横浜潤滑油工場、神戸潤滑油工場が

品質管理の「ISO-9002 」認証取得

1995年

・世界デザインのサービスステーション「RVI 」スタート

・マレーシア 2プロジェクトによるLNG、日本への輸入開始

■高度な品質管理体制で「ISO-9002」取得:横浜潤滑油工場(右)、神戸潤滑油工場(左)が相次いで品質管理の「ISO-9002 」認証取得

1995年~

石油業界は1996年に特石法廃止により石油製品輸入の完全自由化へ。業界の再編化が進み、サービスステーションの削減・発電事業への参入・燃料電池などの新エネルギー開発投資などが加速しました。昭和シェル石油は、経営変革運動をスタートさせ、企業体質強化に向けて社内の効率化に全社員で取り組み、構造的なコスト削減、ポートフォリオの組み替え、付加価値の創造など抜本的な改革を推進しました。

■新ブランドイメージ RVI SS スタート:明るく、フレンドリーなSSを目指して95年以降、世界共通デザインのRVI仕様SS の展開が開始された。
■新ブランドイメージ RVI SS スタート:明るく、フレンドリーなSSを目指して95年以降、世界共通デザインのRVI仕様SS の展開が開始された。

1995年

・世界デザインのサービスステーション「RVI 」スタート

・マレーシア 2プロジェクトによるLNG、日本への輸入開始

1996年

・自動車用最高級オイル「Shell Helixシリ-ズ」新発売

・本社を臨海副都心〈台場フロンテイアビル〉に移転

1998年

次世代ディーゼルエンジンオイル

「シェルリムラ」新発売

1999年

Shell Museum 台場本社ビルに開設

■最高級モーターオイル「HELIX 」シリーズ発売開始

■本社を台場に移転
■本社を台場に移転
■シェルのヒストリー展示、F-1グッズショップ、そしてカフェを併設した「Shell Museum」を台場本社ビルに開設した。
■シェルのヒストリー展示、F-1グッズショップ、そしてカフェを併設した「Shell Museum」を台場本社ビルに開設した。

2000年~

2000年には昭和シェル石油グループおよびシェルジャパンは、日本操業100周年を機に「持続可能な成長」を目指して変革の第2ステージをスタートさせていきます。

■シェル日本創業100周年祝賀:在日シェル100周年の祝賀会が盛況裏に行われた。
■シェル日本創業100周年祝賀:在日シェル100周年の祝賀会が盛況裏に行われた。

2000年

・在日シェル100周年記念、各種記念行事開催

・東京都にディーゼル用低硫黄軽油の納入開始

2016年

シェルが保有する昭和シェル石油の株式の売却完了

2017年

潤滑油事業を分社化し、シェルルブリカンツジャパン(株)を設立

2021年~2023年

全国にあるシェルのSSが「apollostation (アポロステーション)」として順次リニューアル

■東京都のディーゼル公害追放政策に対応して他社に先駆けて低硫黄軽油の供給開始。

■横浜に最新機能の大型SSが開所